
外に出るのも怖くてトラウマを抱えてました。リオに滞在していることが怖いので大移動。

バスで24時間かけ、西南部のカンポグランデという街へ向かいました。

カンポグランデは、ブラジルの中でも特に日系人の多いエリア。
沖縄からの移民が多い為、「美味しい沖縄そば」が食べられるんです!!
◆なぜブラジルには日系人が多いのか?
そもそもブラジルにはなぜ日系人が多いのでしょうか?
ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年(明治41年)以降の約100年間で13万人の日本人がブラジルに移住した。約160万人の日系人が住むといわれている
引用: wikipedeiaより
要点をざっくりまとめると
・奴隷制度廃止にて労働者不足となったブラジル政府が移民募集
・日本政府は「高待遇」をうたって移民を募集
・1908年、第1回の日本人移住開始
・移住生活の実態は過酷極まりないのだった(コーヒー農園など低賃金・低待遇労働)
・コーヒー農園から逃亡した日本人達が「自作農業」で成功を収める
・1920年代〜移民の増加、2世の増加により日本人コミュニティーが拡大(日本語学校、日本語新聞)
・第二次世界対戦中は日本と国交断絶(受け入れ中止)、1951年再開
・国交再開により、日本の大手企業がブラジル進出。日本人の数が急増
・1980年にブラジル経済破綻、日本からの移民は急激に減少
このような歴史を辿って(ザックリ過ぎてごめん)現在でも160万人以上の日系人が活躍しているわけです。
福岡市の人口が150万人だそうなので、その規模の大きさがわかりますね〜。
ちなみに初期に移民した方が多い地域は沖縄や東北、九州。低所得者が多いエリア。
特に沖縄が多く、初回移民の3分の1は沖縄在住者だったようです。
前知識はここまでにして、旅行記にいきましょう。
◆日系人の多い都市カンポグランデを歩いてみる
まずは街をぶらぶらしてみます。そして2時間で気づきました。
カンポグランデの街、これといって見ものはない(笑)
(失礼ながら本音です)

あえて言うならばハイライトはこちらでしょうか!!

インコのモニュメント。笑
拡大してみると、恐ろしくキモイんです。笑

南米らしいストリートアートもたくさんありました。

治安もリオなどの大都市に比べると、やや落ち着いた感じでした。
観光という面では特に何もないんですが、面白かったのことが
日本の文化が根付き変化を遂げていること
街のいたるところに日本との縁を感じます。
こちらは柔道教室。

宿のオーナー曰く、カンポグランデでは柔道が大人気でロンドンオリンピックのブラジル代表選手も輩出したそう。
「なんで日本人なのに、シウバ(チャンピオン)を知らないんだ⁇」
ってオーナーは真面目に聞いてきたけど、、いや知りませんよね〜。
商店に行けば、普通に醤油やノリが売っていたり。
カップラーメンも日清が最大シェアだったり、いたるところに和を感じます。
街を歩いていても、チラホラと日系人の方とすれ違います。
日本人の僕たちが街を歩いていてもあまり目立たない安心感?と妙な親近感が湧いてきます。
(多分、現地の日系人の方はわかってるけど)
日系人が経営している床屋さんでは60代のおばちゃん達がお茶を飲みながら井戸端会議をしていたり。
地球の裏側で昭和の日本を感じる不思議な体験でした。
(強盗直後だったのでカメラを出せず、写真少なくてすいません笑)
2014年に入植100周年記念を迎えたらしく、記念碑も建てられていました。
◆中央市場で沖縄そばを食べる
カンポグランデに住む日系人の60%以上が「沖縄県人」だそうです。
故郷の味を再現した美味しい「沖縄そば」があると聞いたのでレッツゴー!
街の中心部から10分ほど歩いて中央市場へ。

市場内には幾つものテナントがあって、メインは飲食店ですがお土産や特産品売り場もありました。

昼の3時ぐらいだったので人気はまばら。
「いらっしゃいませー、日本の方ですか?」
日本語を話せる女性が声をかけてくれました。

スタッフも日系人と、ブラジル人と半々ぐらい。

店の看板には「富士山」や「Yakisoba」の文字が。

学校帰りなのか、日本人っぽい顔した女の子が走り回っていたり。
一瞬ここがどこなのかわからなくなります。本当にブラジル?
メニューを見て僕はテンションが上がりました!!
「焼きそば」「うどん」「ラーメン」「カツ丼」「てんぷら」
長期旅で日本食に飢えまくりな僕は、文字を読んだだけで生唾ゴクリですよ。
「カツ丼」に浮気しそうになったけど、いやここは「沖縄そば」でしょうと自制オーダー。
割り箸まで出てきました。

いや普通なんだけど、これは世界一周で初めての経験。
「割り箸」をカチッと割る動作に幸せを感じましたね。
世界一周のメリットって幸せの閾値が著しく下がることかもしれない。
些細なことに幸せを感じられるんですもの。笑
ちなみにこの割り箸も現地ので作ったものだそうです。
まずはビールをクイッとやりましょう。
そうそう、ビールはプラスチックケースに入れるのがブラジル流。

だいたいどの店でもこのスタイルで飲みます。
一切瓶に触れることがないので、全然ぬるくならない。合理的ですよね、日本にもあればいいのに!
沖縄そばが出てきました。

ネギたっぷり、肉てんこ盛りのブラジルスタイル

うまい!けど日本のそばとはちょっと違う!
麺も自家製でモチモチ♪生姜をかけて食べる感じであっさり美味しかったです。
特に感動したのが「生姜の風味」。なぜかって?
僕の経験から、海外の生姜は日本産に比べて風味が弱いものが多いんです。
ヨーロッパで自炊のために買った生姜なんてひどいものでした、スプーン何倍入れても風味でないみたいな。
それに比べ日系人が作る生姜は、さすがのクオリティーだなと。
(そこかよ笑)
◆日系ブラジル人の女性に話を伺った
食事をしながら日系人スタッフの女性に話を聞かせてもらいました。

沖縄そばの材料はすべて現地で日系人が作っているものだそう。
全部地産地消なんです。これすごいですよね。
日本のうどんチェーンにはできないのでは?
地産地消のために日系人は色んな工夫をしてきたんだそう。
例えば醤油は大豆からではなく、麦やスイカから作られる場合もあるし、
ダシは鰹や昆布ではなく牛や豚の肉を使うことが多いし、
先ほど触れた「割り箸」だって竹でなく、他の木材で作られているそう。
それでも「日本の味を、文化を再現している」ここがすごいですよね!
試行錯誤を繰り返した歴史が作ってきた味なんだな、
そう思うとスープのコクが一段と増した気がします。
食べ物は一例ですが、試行錯誤こそが日系ブラジル人の歴史のキーワードだったのかも。
「日本ではこういう方法がある。ではブラジルで活かすためにはどうするか?」
地球の裏側で生き抜くために、トライ&エラーを繰り返してきたのかもしれませんね。
お話を伺った女性はご両親がブラジル移住した日系2世の方。
2世の方は、両親が日本人である場合が多いので日本語話せる人も多いけど、
3世になると、ほとんどの人が喋れないそうです。
その方の場合は、2年前までは日本に帰化していたので、日本の事情もよく知ってらっしゃいました。
最後に僕が最も疑問に思ったことを聞いてみました。
遠いブラジルの地で生きるってどんな感じですか?
大変なこととか、日本より素晴らしいこととかありますか?
女性は「う〜ん」と一呼吸おいて答えました。
やっぱり日本がいいわね。住みやすいもの
それは社会保障、働きやすさ(失業率)、安全面だったりと色んな理由があるようでした。
ブラジルでは政府は助けてくれない、自分で生きる道を見つけなければならないと。
具体的にどういうことだろう?それを僕完全に理解できませんでしたが、
それは彼女の経験から発せられた言葉には重みがありました。
締めくくりではこう言いました
本心をいえば日本に帰りたいと。
一方日本よりいいところは、「人と人との距離が近い」とおっしゃってました。
例えば金銭抜きの物々交換だったり、隣人と家族のような付き合いをすることだったり。
「現代の日本が亡くしたもの」が日系ブラジル人コミュニティーにはあるのかもしれませんね。
▼沖縄そばが食べれれる中央市場の情報
https://www.facebook.com/feiracentralcg

沖縄そばもすごく美味しかったし、何より日系人の方が優しく話しかけてくださったことがすごく嬉しかったです♪
カンポグランデは1泊だけにして、次の街ボニートへ向かいました。
次回の旅行記はブラジルの天然水族館♪青の洞窟を超えた美しさ!お楽しみに♪
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