300万人大虐殺。キリングフィールドを訪れて【プノンペン】

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世界一周中のカンボジア旅行でプノンペンのキリングフィールドを訪れました。

 

皆さんは、

 

そう遠くない過去今から30年前にカンボジアで300万人。

全人口の3分の1が虐殺された事を知ってますか?

 

ボクは知っていたつもりでした。

 

よくテレビで特集もされるし、歴史の教科書にだって載っていますもんね。映画だって見た事あります。

 

でも実際に訪れて思ったのが、「ボクは知っている」は、ただ単に言葉として知っていただけだったということ。

 

 

 

想像を絶するものでした。

 

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◆プノンペンのキリングフィールド

 

外国人の入場料金は6ドル。

 

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プノンペンのキリングフィールドでは、日本語音声ガイドを聞きながら歩く事ができます。これが本当にありがたかった。

 

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今は慰霊碑となっているこの建物の周りを一周歩いて戻ってくる感じです。

 

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大虐殺の舞台となった「キリングフィールド」はカンボジア全土に300個以上あり、ここはその一つだそうです。

 

 

1975年。ポルポト政権(クメールルージュ武装勢力)にプノンペン市内が制圧され、人々は街から強制的に追い出されました。家族はバラバラに。街は3日で空っぽでからっぼ状態になったそうです。

 

というのも、ポルポトは「農民こそ英雄である」という信念があった(農民の支持を得て国を制圧しようとした)ため

 

 

町に住むような人や、教育を受けた人達を反逆者(潜在的な的)とみなし処刑したのです。

 

 

その中には、

 

ただ単にメガネをかけていただけという理由で処刑され人まで。

 

 

人々は数週間の拷問で、強制的に嘘の供述書を書かされたそう。 

 

 

罪のない人を誤って殺すのは、敵を見失うよりましである

 

ポルポトの言葉です。

 

拘束された人々は、新しく住む場所に移動すると伝えられ、処刑場に連れてこられました。

 

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ついたその夜に一人ずつ、毎日300人が処刑されました。

 

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処刑を待つ間はキリングフィールド内で労働を課せられ 

 

なかには自分の処刑に自分でサインしたという人もいたそう。

 

 

ここはもともと中国系の人々の墓地で、目立たない場所にあることからキリングフィールドになりました。

 

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発電機を設置し、革命歌を流す事で断末魔の叫びを消し、日常を装ってたそうです。

 

処刑された人々が最後に聞いたのは、発電機と革命歌が混じった音だったのかもしれません。

 

ここは薬品を保管していた小屋。

 

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食べ物にはDDTという殺虫剤が混ぜられました。

 

悪臭がしても、住民は極度の飢餓状態のため食べてしまったそう。

 

また、薬品で死体臭を紛らわす目的もあったそうです。

 

 

ポルポト政権は財政が厳しかったため、処刑に銃は使わず、ナタ、ハンマー等身近なものが使われました。

 

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このヤシの木も使われました。

 

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触ってみると、鋭く尖ったギザギザがありました。

 

本来鳥を絞める時に使うものが、人間の喉を搔き切るために使われたそうです。

 

想像するだけで吐き気がするほど痛々しい。

 

キリングフィールドを歩いていると、所々に穴が開いているのに気づきます。

 

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プノンペンのキリングフィールドだけでも2万人が穴に放り込まれたそうです。

 

死体によるひどい悪臭がはびこり、腐敗によるガスで墓穴が膨らんでいたとのこと。

 

柵で囲われたところには、人骨や歯が地面にさらされてました。

 

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一方でポルポトは農民階級の兵士タチに輝かしい未来を約束していました。 

 

ポルポト目指したのは、完全な自給自足。「米の収穫量を3倍増やせ」と理不尽な命令による強制労働は、夜明けから日が暮れるまでずっと続きました。

 

 

食事は一日2回のおかゆのみです

 

 

飢えと病気でも何千万人がなくなったそうです。

 

 

音声ガイドからは今もトラウマに悩まされ続けている、人々の話しを聞く事もできます。

 

 

生まれたばかりの子どもと離ればなれになった女性

いまでも、小さな子どもを見ると思いだす。我が子が忘れられないといいます。

 

 

強制労働中に女性が斧で殺されるのを目の前で見た方は

止めたくても、どうしようもない。なにも言葉が出なかった、今でもやりきれない気持ちになる。と

 

 

野原で裸にされ、十数人から辱めを受けた女性は

自分がケダモノになったような気持ちで、一生忘れられない。ここには、いられないと思い故郷をを捨てたそうです。

 

 

衣服や布が展示されていました。子供用もあります。

 

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これを見ると、「何歳ぐらいの子が着ていたものだな〜」と辛い想像ができてしまいます。

 

これは手を縛る、首を絞める道具になりました。

 

最もみるのが辛かった場所「キリングツリー」

 

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この木には、沢山の供え物がありました。

 

というのも、この木に赤ん坊が頭を打ち付けられ殺されたのです。 

 

木には不自然な窪みがあり、周囲には脳みそが散乱していたといいます。

 

なぜ、罪のない子どもまで殺したかというと

 

 

雑草を取り除くなら根こそぎ

 

ポルポトの言葉です。反逆者の家族からの報復を避けるために子孫を根絶やしにしました。

 

 

また、付近には若い女性100人以上が埋められていたそう。

 

それも裸の状態で。

 

慰霊塔にはここで亡くなった方々の人骨が保管されています。

 

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音声ガイドを聞きながら、2時間ほどキリングフィールドを歩きましたが、一言も言葉を発する事ができませんでした。

 

ほんの30年前。ボクが生まれる少し前。

 

今ボクが立っている場所で、こんなにも残虐なことが起こった。人間はこんなことまでできるのか。

 

ということを心に受け止めることすら辛かった。ただただ辛かった。

 

 

  最後にガイドがいいました。

 

「次の世代にこの負の歴史を伝えて続ける事が、キリングフィールドを訪れたものの指名だ」と。

 

 

カンボジア人だって、日本人だって世界中の人々に共通しているのは感情だと思います。

 

繰り返さないためには、多くの方がこの事実を知る事が重要。

 

ウマく言葉にできませんが。ここ訪れ、知ること、感じることができて良かったなと思います。

 

もし、カンボジアを訪れた際にはアンコールワットだけじゃなく、キリングフィールドにもぜひ来てほしいです。

 



 

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2 件のコメント

  • 参考になりました。観光でカンボジアに一人旅です。明後日、キリングフィールドでいろいろ感じてきたいと思います。

    • 記事を読んで頂きありがとうございます。現地にいってこそ感じられる事がきっとあると思います。
      どうか安全に良い旅になりますように。

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